歴史の道100選 萩往還53km完歩〜  山口県  2016/10/8〜10   善通寺山の会 
萩城跡  萩往還はここから出発  

チャーターバスで萩市の宿まで〜バスは私達10名を降ろして地元に帰り
2日後のお昼の時間に合わせて迎えに来てくださる(#^.^#)タクシーみたいですね。
なので、バスを降りた瞬間から3日間すべて歩くという行程・・・体力大丈夫かな?

萩往還は、毛利氏が慶長9年(1604)萩城築城後、江戸への参勤交代での
「御成道(おなりみち)」として開かれました。
幕末に維新の志士たちが時代とともに駆け抜けた道としても有名ですね。
日本海側の萩(萩市)と瀬戸内海側の三田尻港(防府市)をほぼ直線で結び全長はおよそ53km。

私達は53kmプラス観光もあって、結果3日間で70km以上歩いたようです。頑張りました!


8日
 善通寺5:00ー萩市民宿9:50・・・萩城跡
    萩観光・・・17:00萩市民宿泊

9日 6:10萩市民宿・・・萩駅6:40・・・
   
    7:45道の駅「萩往還」・・・

    10:10明木 一升谷・・・

    

    12:20佐々並・・・



    15:00国境の碑・・・

    16:10天花坂口・・・
    17:00瑠璃光寺五重塔・・・
    17:50山口市太陽堂旅館泊

10日 6:00旅館出発・・・
  





    10:00群境の碑・・・
    11:45防府天満宮・・・


    13:50終点 三田尻御船倉跡・・・
    18:10善通寺着
    


8日の行程
11名中3名が背景の指月山(143m)を歩く。蚊が多かったの感想(#^.^#)  遊覧船あり
萩は産業革命世界遺産なのですね〜   萩焼祭りで城下町はレンタル着物姿が多く華やか。
萩焼のお店は随所に。               石垣が美しい城下町
路地もウロウロ〜見どころたくさんあり。日本古寺100選「円政寺」のお庭にツワブキ開花。


詳しくはこちらへ お借りしました

松陰神社宝物殿「至誠館」にも寄る 撮影禁止でした。

熱心に案内板を読む仲間                 可愛らしい傘はおみくじでした(#^.^#)

雨が降り出す。有名な夏みかんソフトで休憩。
昼食は夏みかん寿司定食でした(#^.^#) 萩は夏ミカンが有名〜

夏みかんの原樹は、江戸中期に萩市隣の長門市仙崎大日比(青海島のオオヒビ)で発見され、
1927年(昭和2年)に国の天然記念物に指定されています。「かおり風景100選」でもあるらしい
南方産の柑橘果実(文旦系)が黒潮にのり、この付近の海岸に漂着し、
その果実を拾い種子をまいて生えたのではなかろうかといわれています。
(萩夏ミカンセンターブログより)  残念ながらこの原木の場所には行きませんでした。

唐樋札場跡。幕府や藩からのお触れを掲示する
場所。見せしめのための、さらし首もあったようだ
玉木文之進旧宅  松下村塾創成者。
吉田松陰をスパルタ教育した叔父として有名


東光寺     東光寺お借りしました

雨が降り始めた〜それも土砂降り。宿まで歩けそうにないので「ぐるっとバス100円」を利用。
無事今夜の宿、民宿ふじわらに戻って郷土料理をいただき就寝。


9日の行程

↑9日最初の道標 大木戸跡(萩城下町の
表玄関のあった所)石碑は昔の道標
             古今の道標がこんな所に→

↑萩駅 大正14年に建てられ、国登録有形文化財に指定されている。
この駅舎は平成10年に復元された。


やっと里山道になる。 涙松跡・吉田松陰歌碑(涙松遺址)

江戸時代、萩城下から山口へ通じる藩主御成街道は、萩市大屋から左へ折れるので、
城下が見えるのもここが最後となります。松並木の間に見え隠れする萩を見返り、
別れの涙を流すというので、ここの街道並木を「涙松」と呼んだ。

安政の大獄に連座し江戸送りとなった吉田松陰はここで
「かえらじと思いさだめし旅なれば、一入(ひとしお)ぬるる涙松かな」の一首を残しています。


悴(かせが)坂一里塚に向かいます。


林の中にひっそりと悴坂一里塚の碑(ほぼ昔のまま)
唐樋の札場を起点とした、最初の一里塚です(一里塚は約4km)。


整備された街道を歩きます。


国道反対側が道の駅「萩往還」 地下道で渡。     道の駅の高杉晋作 吉田松陰 久坂玄瑞像
道の駅の山県有朋 木戸孝允 伊藤博文像        品川弥二郎 山田顕義像を眺め出発


悴(かせが)坂籠立場  籠を下して休息した場所


烏帽子岩通過。1740年頃の地図や記録に、「烏帽子岩」「えぼし岩」と記入されていることから、
自然の道しるべとなっていたと思われる。
岩の後方の杉林に、昔は地蔵さんがあり、その前が広場となっていて、休憩できた。
殉難三士のうち、香川半助と冷泉五郎の首を、この烏帽子岩の所でさらしたと伝えられている。

自然の中をしばらく歩く 水量が多く朝日に輝く沢が綺麗でした(写真失敗でなし)右・有名な石畳


樹林帯を抜けると目の前が明るくなった! 田舎の風景現れる(#^.^#)


朝霧がいい雰囲気だ!




お気に入りの光景〜〜(#^.^#) 何枚も撮る


土手にはヨメナかな? いっぱい咲いていた。 背を向けたお地蔵さんを見つけ降りてみた。


松陰歌碑通過中
「少年有所志 題柱学馬卿 今日檻與返 是吾晝錦行」と刻まれている。私には難しい(#^.^#)




一升谷に入りました  休憩中の仲間  連休なのに歩く人には出会わない(#^.^#)


急な山道を雨水から守るため、先人が考えた石畳。
幅約1mで、両端に大きな石を置き、内側に小さい石を配して流失を防ぐ工夫をしているようです。
(萩往還ホームページより)


小さな水路。勢いよく水が流れる


一升谷頂点着! 緩やかな登りと緩やかな下りでテンポ良く歩いています。


猪対策の柵を通過〜2ヶ所ありました。         土手にはスミレ開花(#^.^#)


若いお巡りさんのネズミ捕りに出会った。お仕事中だけど一里塚のことを仲間が聞く(#^.^#)
お巡りさんの後ろに七賢堂の休憩所、展望所あり。休憩して下ってきました。
ここから車道を少し歩きます。

車道歩きが終わって、写っている柵に沿って歩きます。車道と並行です。蛇に遭遇〜


落合の石橋  国登録文化財

佐々並川支流の落合川に架かる長さ約2.4mの石造刎橋。
片持梁の役割を果たす柱状の石材の上に、玄武岩らしき3列の板石がのる。
萩近辺に多く見られるこの構造形式は、この地方特有のものとされている。 
(文化遺産オンラインより)

 
その落合の石橋を渡る 


千待峠を通過するとこんな光景に出会う(#^.^#)


素敵な手作り案内板〜  毛利藩主の参勤交代では600人〜1700人もの行列と書かれています!
佐々並の建物は保存地区のようだ。上級藩士が宿泊した場所だったようです。


案内板には、昔栄えた様子が書かれています。 トイレあり。
今は「ふれあい塾」になっていて、地元の方たちが趣味を楽しまれているようです。


昭和30年頃まで佐々並小学校。今は地区の公会堂として活用されている。
今までのルートで地元の方に出会わない静かな歩きでしたが、初めて元気な子供の声を聞く(#^.^#)


佐々並頭一里塚  復元されたもの




ススキの風景が随所に!秋を楽しみながら歩いています。


首切れ地蔵!由来は検索して下さい〜


石風呂 当時の人は中で火を焚き底の石を
焼いてその上に海藻を敷いて体を休めました。
  栗も拾いながら〜車道を出たり入ったり
アケボノソウに出会う 急な石段も歩きます


上長瀬一里塚

一里塚は、徳川幕府開設直後の慶応九年(1604年)に江戸の日本橋を基点として
全国の主要街道にその築造を命じたのに始まるといわれる。
防長両国では、同年毛利輝元の萩築城により、城下、唐樋札場(萩市東田町)を基点として
主要道に1里(約4km)おきに設けられた。
萩往還には12基が設けられ、上長瀬一里塚は、萩唐樋札場から五里の地点にあたる。
一里塚は路傍の段斜面に不整形な大小の岩石を集積して墳形えおつくり、かつては半球形に
近い整った形であったと思われる。
旧記によると「従三田尻船場七里、従唐樋札場五里」と書いた塚木を立てていたが、
元治元年(1864)防長両国の一里塚を廃して常緑樹に改めた。
そのため土台の部分も手入れの必要がなくなり多くは崩壊してしまったが、
萩市悴(かせが)坂と上長瀬のものはほぼ原形をとどめており
数少ない近世の交通関係遺跡として貴重である。       
                                     以上のように記しています。

国境の碑  この峠は坂堂峠といい周防と長門の国境  国の史跡「萩往還」に含まれる。
通行人の取締りや警戒にあたる所で、通行税も取っていたようだ。


一の坂一里塚  萩往還の中間地点  復元されたものです。


六軒茶屋 復元   萩往還最大の難所とされる一の坂に設けられた休息所。
往来の旅人の良い休み場で、軒先を茶店にして旅人をもてなしていたことから
六軒茶屋と呼ばれるようになりました。


天花坂口  山口から歩くと急な坂で最大の難所。私たちは逆コースなので下りました(#^.^#)


一の坂ダムを通過〜車道歩きが続きます。山口市の街並みが見えた!今日のゴールはもう直ぐ〜


リーダーお勧め「国宝 瑠璃光寺五重塔」に寄る。 
全国に現存する五重塔のうちで10番目に古く、美しさは日本三名塔の一つに数えられ、
室町中期における最も秀でた建造物と評されています。
日本三名塔の他2基は、奈良県の法隆寺と京都府の醍醐寺にある五重塔です。
背景の山が四季折々変化し一年中楽しめるようです。


とにかく立派!そして華やかでした〜
リーダーは4度目らしいけど何度も訪れたい瑠璃光寺五重塔と言ってました。納得(#^.^#)


瑠璃光寺五重塔の近くに宿がある。男子は地酒を買い(持ち込み自由な宿)
活気ある商店街を進んで行くと、今日の宿、太陽堂旅館があった! 
今日は萩往還34km〜よく歩きました。明日20kmもガンバ!

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