■四国縦断山行10 辻峠〜東山峠 標高490m〜920m 徳島/香川 2015/11/29 善通寺山の会 | |
長丁場を予測して、暗いうちから出発です。 参加者:9名(男子2名 女子7名) | |
35周年記念山行四国縦断は、室戸岬からスタートしその後、計画通り進んみ 10回目の今日、いよいよ私たちによって香川に入る。 前回参加した白髪山〜三嶺の登山道は迷うことのないメジャーなコースでしたが 今日の峠コースは藪多く、その上、先日歩いた夷守岳より厳しいとか・・・ そんな声を聞きながらも昔の道を歩いてみたくなった(#^.^#) |
|
事務所5:00==6:00行常6:15・・・標高490.5m△点8:03・・・712m△点10:10
・・・851m△点(昼食)11:45・・・929.6m△点12:50・・・樫ノ休場13:28・・・ 800m△点14:17・・・14:58東山峠==行常車回収(サポート隊と)==17:40事務所
|
|
登山口から即藪! でも冬枯れなので見通しがいい〜まだ歩きやすいらしい。 学んだことは、目的地点の地図の通り、コンパスの示す方向に真っ直ぐ這いあげればいい(#^.^#) |
|
薄暗かった藪に日が差し始めた〜先人たちの励ましかな〜頑張って歩かねば(#^.^#) |
|
第一ピークに着くとフユイチゴの群生〜(#^.^#) 皆で味見です〜 |
|
横断幕の記念撮影は、今日の大事な仕事です(#^.^#)写真担当私〜第一ピークにて。 |
|
生活道に出ると祠あり。覗き込む仲間。 生活道や林道、車道にも出ながら昔の道を歩きます。 |
|
のどかな風景も眺める(#^.^#) |
|
休憩後出発の仲間たち〜 |
|
行きかう人の守り神でしょうか。 |
|
さらに進むと行き止まり〜こんな光景の中、登山口を探す。 |
|
ここからなら登れそう。 地図の通り真っ直ぐ進む。 |
|
歩き始めると・・・刺の道〜 |
|
分岐に出る。 リーダーがコンパスで確認〜こちらに進む(#^.^#) | |
第二△点712m着 |
|
今度は車道に出る。 |
|
すぐ急登の登山道。 先人たちはこんな道もスイスイ平気で歩いていたのだろうか(#^.^#) |
|
藪。バラのトゲ多し〜 |
|
こんな樹林帯をぬって進む。 |
|
安らぐ出会い。 |
|
第三△点851m見つける.。 狭いピークで記念撮影&昼食です。 |
|
再度車道歩きになる。 |
|
山の神様に挨拶し〜 |
|
標高が上がると雪が残っていた。 |
|
第三△点から約1時間で第四△点929.6m着。 △点の好きなIさんが全てサッと見つける(#^.^#)スゴ技でした。 |
|
第四△点にて〜 樫ノ休場が近くなった。 |
|
樫ノ休場着〜東山峠へのゴールが近くなった。 |
|
お天気は、予報通り午後から曇りになった。 樫ノ休場から猫山、讃岐富士を眺める。先人たちと同じ風景を眺めているのですね(#^.^#) |
|
有名な二本杉背景に今日6度目の記念撮影(#^.^#) 多すぎる・・・影の声。 |
|
ラストスパート〜東山峠に向かいます。 所が・・・行き止まりに行きつく・・・ |
|
安全第一の山の会〜難所はロープ張って下ります。私は・・・張る前に滑り下りました(#^.^#) |
|
安全な阿讃縦走コースに入りました〜フカフカの落ち葉を踏みながら歩きます。 |
|
最後の△点800mです。4等三角点が多かった。 講師から説明を受ける皆さん。 |
|
歩きやすい阿讃縦走路です。 |
|
こんな風景眺めながら〜 |
|
東山峠です〜車サポート隊の3人が待ってくれています(#^.^#) 感謝です。 ヤッホー〜と、叫んだけど、届かず残念〜 |
|
最後の記念撮影は、下山口ではなく、反対側の東山峠の標識の前で〜12名揃って〜 お疲れ様でした。 |
|
サポート隊の方がドーナツと熱々コーヒーを用意して下さった。美味しかった(#^.^#) Mさんの車で徳島の行常にデポしてる車を取に行きます〜ありがとうございます。 植物も少し楽しんで〜(#^.^#) |
|
ツルリンドウの実 多かった。 | センボンヤリの綿毛も群生。 |
ゲンノショウコの実 群生でした。 | イヌツゲメタフシ 虫こぶです。 |
無事歩けた(#^.^#) 完走は嬉しいものですね。 ゴールで、お迎えの人が居て下さることも、山行を楽しくさせて下さいます。 感謝!感謝の山行でした(#^.^#) 足跡 |
|
三好郡東井川村辻口(つゆぐち 現在の井川町)は池田大西町とともに江戸時代から 商業の盛んな町だったそうです。辻口には辻の浜の渡しがあり、 祖谷山・井内谷から辻・浜の渡しを渡って昼間へ、東山峠を越えて讃岐へ、 瀬戸内海を渡って本州へと続き交通の要衝でした。 蜂須賀治世の初期には、国内外から多くの商人が入り 「市」を立てることを許可されていたようです。 辻口には商店が出来、農村でも物々交換から貨幣経済へと移行されたようです。 「とくしま学博士」より *会報11月号CLのY・Oさん掲載の文面をコピーさせていただきました。
先人たちが歩いた同じ道を私たちも歩いて香川に入りました。
|
|
次回は東山峠〜猪鼻峠です。3月にはゴールの金見山〜瀬戸内海ですね〜(#^.^#)。 |
|
TOP | |